1974-03-28 第72回国会 参議院 文教委員会 第5号
そのうち、札幌と岩見沢の両校につきましては、昭和三十年代に入りまして統合・整理という声が学内にも高まってきたようでございますが、具体的には、昭和四十一年になりまして、第三の土地にひとつ適地を求めて札幌分校と岩見沢分校とを合体しようというような動きになって、その後の進展を見ないまま今日に至っておるというふうに見ておる次第でございます。
そのうち、札幌と岩見沢の両校につきましては、昭和三十年代に入りまして統合・整理という声が学内にも高まってきたようでございますが、具体的には、昭和四十一年になりまして、第三の土地にひとつ適地を求めて札幌分校と岩見沢分校とを合体しようというような動きになって、その後の進展を見ないまま今日に至っておるというふうに見ておる次第でございます。
そこの大学に入った者がほかのところへ行かない、岩見沢分校の卒業生は岩見沢の周辺だけ、こういうことじゃない。そうでしょう。地元がどうこうということは、やはり国立の大学がなくなるということは困るという感じは、これは両方とも持っているわけで、どこでも持っているわけです。それは無視できないだろうと思います。
その実地調査を行ないました大学が、第二表にございますように、北海道学芸大学につきましては本校と札幌分校、函館分校、旭川分校、釧路分校、岩見沢分校、それから弘前大準教育学部につきましては本校と野辺地分校、それから新潟大学教育学部につきましては本校と高田分校、長岡分校、それから愛知学芸大学につきましては本校と岡崎の分校と名古屋の分校、大阪学芸大学につきましては本校と天王寺の分校、池田の分校、平野の分校、